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ただのノート

タルコフスキーをみて

 たまたま昔書いた文を見つけたので載せてみる。去年の池袋でやっていた上映の直後に書いたようだ。あくまでそのまま載せただけなので・・・

 

may.23 6:51

タルコフスキーを観て


淡く、直接的だった。彼の描くそれはいわゆる物語性というものが排除されていて、ある意味洗練されていた。確かに外縁には物語はあるのだが、それは映画としての体系を保つことに限っていてそれそのものが主題ではなかった。本来それは映画としては危うい。しかし、彼は物語を描くことよりも意思を描くことに専念していたように思える。

中でもノスタルジアは衝撃的だった。内容はほぼかけらと言ってもいいほど無いに等しかった。しかし、その中には彼の何かしらの意思が感じられた。彼そのものを自己投影したかのように親近感があって、リアリティーがある。終末期の哀愁を描いた映画だった。その哀愁を求めて、しかしあの哀愁はもう2度と手に入らない。それでも求めて欲してしまった。彼に何があったのかはわからなかった。果たして哀愁感は満たされたのだろうか。最後のあの数分間にあったのはただの義務感だけだったのだろうか。あの数分間は圧巻だった。そしてラストシーン。彼は息途絶えていたのだろうか。最後の最後でそのノスタルジアの片鱗を感じ取れた。

重ねて言うがそれには物語性は一切なかった。無いことが重要だった。直接的にその意思を伝えることに限っていた。

映画は脳味噌で楽しむものばかりだ。しかしそれは果たして芸術と言えるのだろうか。芸術というのはある種の感覚でそれは美味しい食べ物を食べた時の感覚や素晴らしい情景を見た時の感覚。あの言いようも無い感覚。経験則に基づいたものでは無い感覚の気がする。形容するならニューロンを介すことなく感じている感覚だ。そんな根元的な本質的なものなのではないだろうか。ノスタルジアはそれだった。形容することは難しいが、その朧げで淡いイメージは感じ取ることができた。

言ってしまうと一見物語性は高尚なものに見えるが、僕にとっては稚拙で危うい。何故ならそれは経験則的に価値体系が出来上がっていて、基本的に未知なものに高い評価がつく。あるいは相対的に緻密で技巧的なもの、完成度が高いもの。しかしそれは根源的なものではない。後天的な要素では芸術は評価できない。もっとシンプルなはずなんだ。もっとシンプルに、シンプルな価値観を持たないといけない。そこには根源的でそして何より強烈な圧倒的な意思がある。

 

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        ノスタルジアにて (引用元:http://www.pan-dora.co.jp/?p=3700

 

 こんなところに行ってみたいなあ・・・

 

 

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